パチンコ業界の歴史

パチンコ裏情報

2023年9月28日更新
ちょっとだけパチンコ業界の裏を暴露します。

 

今回はパチンコ業界と政治の関連についてです。

 

そもそも、日本にパチンコ店の営業が始まったのが1930年の名古屋が初といわれています。

 

そこから現在に至るまで、様々な変化がありながら現在の風俗営業としての形状を成していますが、その間、パチンコ業界が政治と関係を持って行動しているのが、おそらく戦時中のみかと思われます。

 

戦時体制によりパチンコは不要不急産業として禁止され30店舗以上に膨れあがったパチンコ店は全て閉店し、台は全て処分されました。

 

1946年頃、終戦によりパチンコ店が復活することとなりましたが、本格的に風俗営業として始まったのがこの時期で、
板に釘が刺さっている台正村ゲージという現代のパチンコ機の元とされる物が登場してきました。

 

終戦後の高度成長期との絡みもあり、パチンコ業界は驚くほどの成長により、多くの機種が出てきましたが、公安委員会を通しての国からの規制をくらいの繰り返しを行ってきました。

 

日本国(政治)はパチンコ業界が順調に成長していってしまうことに対して止めなければいけない理由があったのです。


パチンコ業界と政治の関連性

パチンコ業界と政治

政治と企業は戦前から密な繋がりがあったことはもはや有名な話だと思います。

 

政治が企業を支援や投資をして利益を得た企業から見返りを受け取るという仕組みです。

 

これ!!実は逆のパターンも存在するのです。企業が政治に多くの投資をして、見返りに企業が利益を得やすくする為にバックアップをするという仕組みです。

 

様々な業界、様々な大企業ではこのような手法を行い、成長していき、この流れに乗れない業界や企業は衰退してきているのです。

 

前文に申し上げたとおり、パチンコ業界はものすごい勢いで発達していき急成長企業として、政治の力を借りずに、逆に政治と戦いながら進んできました。

 

その結果、多くの規制をしいられ、ハードルを上げられてきましたが、まだまだ余裕がある状態でしたが、パチンコ業界に致命的な規制(超スペックダウン)が強いられ、いよいよ経営が難しい状況にまで追いやられることとなりました。

 

やむ終えず行った手段が政治連盟(全日本遊技産業政治連盟)を設立し、さらに各都道府県に遊技産業支部を設立し、政治との連携を築き始めました。

 

パチンコ業界もいよいよ政治との繋がりを作る時がきてしまったのです。

 

結果はすぐに出ました!

 

規制の緩和が徐々に始まり、登場してきたのが6.5号機です。

 

そこから程なくしてスマスロの登場!

 

さらにスマパチの登場!!

 

スマパチの結果が悪いことからすぐに内規改正という流れで、政治家を立ててからの緩和のスピードが異常に早かったです。

 

何が起きたかというと、政治が公安へ圧力をかけたのです。

 

今まで政治が公安にパチンコ業界の規制をする圧力をかけてきたことの逆の事をおこない、猛スピードで規制の緩和が起きたのです。

 

業界は営業許可権を持っている公安に弱く、公安はあらゆる決定権がある政治に弱く、政治は投票率を持っている業界に弱い。三店方式みたいな不思議なトライアングルができています。

 

これが現実です!!

 

これが今の日本の衰退に繋がっていることは間違いないのです。

 

かと言っても人はそれぞれ自分が大事であり、サバイバルの中で生きているため、逆行することは困難であり、この形態が崩れることは今後もないと思われます。


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